ちょうど6年前。

[ 小さな星日記 ]

ちょうど6年前、1998年の今日は土曜日で、僕はある女の人をうちに招きました。
うち、とは言いますけどその頃僕は28にもなりながら、掃除のバイトをしつつ音楽を作ったりしていて、当然貧乏。阿佐ヶ谷北の6畳+キッチン、トイレ付き風呂ナシ物件に住んでいました。
僕とその女の人は、1年ほど前、まだ僕が山口の実家にいる頃から、友達つながりで少しメールのやりとりをするようになっていましたが、だいたいひと月に1回とか2回くらいで、そんなに頻繁ではありませんでした。それでも僕が上京し、6月頃に彼女の友達の個展に誘われて、一度会ったことがありました。まぁそんなにたくさん話したわけでもないので、きちんとしっかり話が出来る人だなぁ、くらいの印象でした。

彼女を阿佐ヶ谷駅まで迎えに行って、うちに帰る前に小さなケーキを買いました。残暑が厳しくてとても暑い日だったけど、うちに帰ってもエアコンもなくて、首振り扇風機をフル稼働させ、僕は得意のトマトソースのパスタとハンバーグを作ったように思います。そのころ僕はとても料理上手だったんですよ、ホントに(笑)。チーズケーキにキウイを添えようと思うんだけど、と言うと、すっぱいものはあんまり好きじゃないけど...と彼女は言いました。でも大丈夫、高円寺の安い果物屋で買ってきたキウイは、熟れに熟れまくってましたから(笑)。

山盛りのごはんを食べながら、二人でビールを飲みつつ、とにかくいろんな話をしました。もうそれがどんな話だったかは覚えていないけど、僕は彼女が自分とよく似たベクトル、気質を持つ人なんじゃないかな、と思いました。
僕はそのころ音楽を作ることにちょっと行き詰まっていて、音楽以外の、なにか別の創作をやってみれば、音楽も活性化されるんではないかと思っていたのもあって、彼女に、一緒に雑誌を作りませんか?と言いました。

そして、僕等はすぐに友達を集めて小さな雑誌を作り始めました。

僕はが彼女に感じたのは、本当は、彼女が自分とよく似た部分をもっているということだけでなく、彼女は僕をどこかへ連れて行ってくれるんではないか、という直感のようなものでした。30を前にしてなんのキャリアもなく、行き詰まり、自分の力だけではもうどこにも行けなくなっている僕を、その生暖かい泥沼から、どこかへ連れ出してくれるんではなからろうかという、そんな、直感、予感、期待。チョットナサケナイネ。

そして6年の月日が流れて、今日、9月19日(日)。
我らが店長、そして僕の相方でもある、宮崎麻美、31回目の誕生日です。

おめでとう。
そして、ここまでつれてきてくれて、どうもありがとう。
ホントにすごいところに、君は僕を連れてきてくれたもんだなぁ。

僕は明日、君を阿佐ヶ谷のおいしい焼き肉屋に連れて行きます(笑)。

 
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