ルール。

[ 小さな星日記 ]

のだめカンタービレ(1)さて、昨日は定休日でしたが、久しぶりにゆっくりだらだらしました。今年に入ってはじめて近所のお蕎麦屋さんに顔を出し、店主と話をしつつおいしいビール&お蕎麦を食べ、東八通り沿いの本屋さんでちょっとおためし立ち読みしたら、まんまとその思惑にはまって大人買いしたのがこれ、「のだめカンタービレ(1〜11:連載中)」。

すばらしく耳のいい、でも楽譜を読むのがからっきし苦手な音大生の女の子と、ピアニストの父を持つ指揮者志望音楽エリートの俺様な男の子の恋愛(?) クラシック音楽コメディ。お互いに刺激し合い、俺様な男の子がだんだんと天然なピアノ少女を好きになっていくというのは、王道中の王道ですが、個人的には音楽ものというのもあって、かなりはまって一気に読み切ってしまいました(笑)。

クラシック音楽の中で、楽譜というのは犯してはならない絶対的なルールなんでしょう。楽譜の解釈は様々あっても、それを改変するのは作曲者に対する冒涜でしかなく、クラッシック界では御法度なんでしょうね。でもそうゆうふうに考えない天然ピアノ少女は、演奏された「音」だけを頼りに、自分なりのその曲の世界観を表現する....それはルール違反なんだろうけど、それこそ「音楽」なんじゃないかな、「音学」ではなくて、とも思ったりします。最近はそうでもないんだろうけど、日本人は勉強するのは得意だけど、うまく楽しいことをするのはそうでもない気がしますね。

六月の勝利の歌を忘れない 日本代表、真実の30日間ドキュメント DVD-BOX夕方から「毎月新聞 ごはん」を入稿するという最低限のノルマをこなしたら、2002年ワールドカップ日本代表のドキュメント「六月の勝利の歌を忘れない 日本代表、真実の30日間ドキュメント」を久しぶりに見ました。この間の北朝鮮戦も見られなかったので、久しぶりにサッカーものを見たかったのもありました。

トルシエのサッカーはフラット・スリー組織的戦術を重視するもので、それをきちんと理解しピッチの上で実現していけるかというところがとても大事だったりします。ディフェンスラインのコントロールを細かく指示したり、戦術というひとつのルールの中で、選手を将棋の駒のように置いて動かすサッカーですね。

うちのお店、たとえば僕が担当している接客というのにも、いくつかのルールがあります。いくつかといっても、ちょっと箇条書きできるようなもんじゃないんですが、たとえばアルバイトさんとかを雇った場合、きちんと伝えなくちゃならないことってあると思うんですよね。

でもルールは絶対じゃない。
ルールは静的なものではなくて、常に動的なもので、絶えず変化していくものなんだと思います。まずルールありきではなく、まず、お客さんありき。
お客さんひとりひとりが違うように、ひとりひとり違った接客が存在して、その中で抽出できるひとつの法則みたいなものがルールであって、でも接客は常に臨機応変、同じお客さんでもその都度違ってくるものです。だからルールというひとつのガイドラインの下で、いくらでも変化しなくちゃならない。

それは、サッカーのセットプレーに似ている気がします。
練習ではセットプレーを何度も何度も繰り返し練習します。でも試合でまったくおんなじシチュエーションになるわけはないし、相手の動き方も違うし、でもセットプレーの練習はすごく大事にすると思うんです。すぐに得点に結びつくプレーだし、流れを変える大事なプレーだからです。
でもホントは本番でのあらゆる場面を想定して、それに臨機応変に対応するための練習であり、それが「セットプレーというルール」なんだと思います。その中でいろんな新しいバリエーションも生まれてくるだろうし、また新しいセットプレーのアイディア(つまりルール)も生まれてくるでしょう。

うちのお店も、最初はまったくルールのない無法地帯でしたが(苦笑)、同じように少しづつルールを獲得して、そしてそれはどんどんと変化、成長していくものなんですね。そんなことを、閉店後、賄いをたべながら話したりしています。

でも最終的には、ルールなんて気にしなくてもいいくらい、僕等の意識が自然に変わって、それこそそこで、自由にのびのび出来たらいいんだろうなと思ったりします。それが、ルールが行くべきゴール地点なんではないかな、と思ったりもするけど。

どうだろ(笑)?

 
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