はじめてのアルバイト。
[ 小さな星日記 ]
ということで、パート・アルバイトさん募集中のリトル・スター・レストランでございます。
僕がはじめてアルバイトをはじめたのは中学1年生の秋です。
ちょっと早いですか(笑)?
受験勉強で忙しくなる3年の先輩から引き継ぐ形ではじめた新聞配達。2地区を担当して、月に1万2千円。中学生の僕には(いや、もちろん今も)とても大きなお金です。すげー!と思いましたもん(笑...でも一日あたりで考えると400円...そんなにいいわけじゃないね...苦笑)。
でも、僕はその頃、深夜のラジオなんかを聞き始めたりなんかして、なんだか小学生に比べてオトナー(笑)、みたいな楽しみを知り始めたばかりで、早起きして新聞配達なんか続くのかしらとは思いましたが、さっさとバイトを辞めたい先輩に押し切られたかんじ。
新聞配達、といいますが、こっち(東京)みたいにひとつの会社の新聞を配ればいいというわけではなくて、朝日・読売・毎日の3紙に中国新聞、山口新聞、スポーツ新聞、農業新聞を配り分けなくてはなりませんでした。だからまずはどのお宅がどの新聞か、というのを覚えなくてはいけません。僕は45軒くらいのお宅を配っていたんですが、まずはひとつずつのポストにチョークで印を付けるところからはじまりました。朝日なら「朝」、毎日なら「毎」。
45軒くらいなら、配達するのも大したことないだろう、と思うかもしれませんが、これが、あんまり田舎なので、家と家、集落と集落ががかなり遠かったりてして、ホントに田んぼの中の農業用道路とか通りながら、全部配るのに自転車で40分から1時間近くかかりました。
でもそれは、きちんと間違えなく配れれば、ということで、最後の最後で数が合わなくなったりすることもあります(苦笑)。あぁ、農業新聞、一部余っちゃったよ!みたいな(笑...よくあった、小さい新聞だったし)そうすると、配り間違えたかもしれないと思い当たるところを中心に探してまわらなくてはなりません(泣)。あぁ、学校に行かなくちゃならないのにーとか思いましたけど、なんとか遅刻することはありませんでした。なので、集落ごとに配り終えた時の、残りの新聞の数とかチェックしつつ、配り進んでましたね。
雨の日も雪の日も、お盆もお正月も、気がついたら僕も卒業するまで配り続けました。
高校からずっと長い間愛用していたダイバーズウォッチ。
裏フタには「配達記念 朝日新聞」と記されています。
その町の小さな配達店で、毎年卒業する配達員のうちのひとりにプレゼントされるものでした。
今でも、それは、ちょっとした自慢のようなものであります(笑)。